2014-06-11から1日間の記事一覧

共同研究開発協定

これとともに、カールトンは五万ドルの私財を投じ、エクスポネンシャルーバイオセラピーズ社を設立した。メリルとアドヤは、政府の科学者と民間企業が協力して得た成果を共同の利権にできる共同研究開発協定により、カールトンに協力してはたらきはしめた。…

透明な円は「プラーク」(溶菌斑)

メリルは、この発見を一九七三年に発表し、二十年ものあいだ、それについてほとんど忘れていた。だが抗生物質の耐性の記事を読むうちに、メリルは、ふたたび自分の初期の実験について考えるようになった。肝臓と脾臓によってファージが追い払われずにすめば…

ファージは皮膚細菌と腸管の細菌に寄生

メリルが見たところ、グルジア人たちはファージを患部に塗布するか、経口で服用させていたようだった・患部にファージを塗布するのは、皮膚感染症には有効かもしれないし、経口投与は腸内病原体には作用するかもしれない。だが注射しないかぎり、ファージは…

分子生物学

カール・メリルは、二十世紀後半のおおかたの分子生物学者と同様に、ファージについて学んでいた。それはウイルスであり、遺伝子を細菌にうつし、増殖することができる。分子遺伝学のたいへん重要なツールだ。一九四五年、サルバドールールリアとマックス・…

アメリカの国立衛生研究所上層部の科学者たち

電気も暖房もない状態で、ニーナたち研究者は、自然光のもと、一年の大半は外套を着て手袋をはめたままはたらき、タイプライターを打った。体をあたためるために、携帯用の石油ストーブをもち、コーヒーや紅茶をあたためる際には乾燥アルコールの小片をIカ…

予算

そして一九八九年、ソ連の共産主義体制が崩壊をはしめた。グルジアでは、長いおいた抑圧されていた独立を求める声が、国内に無政府状態をもたらした。数力月のあいたに七〇〇人の研究者が二〇〇人に削減された。残った研究者たちは町に銃弾が飛びかうなか、…

サルモネラ菌、赤痢菌などの腸内菌の増殖を予防するためにファージを投与

ひとつだけ、例外があった。一九八二年から、イギリスの研究者ウィリアムズースミスとマイケル・ギンズが、動物におけるファージの作用を研究した。かれらはヒトの汚水処理場、家畜市場、農場からファージを集めた。ファージは、基本的にどこからでも採集で…

腺ペストの患者の治療にファージを用いて成功

一方、デレルはといえば、エジプトでは細菌感染症におそわれたメッカに向かう巡礼者の治療に、インドでは腺ペストやコビフの患者の治療にファージを用いて成功し、一九二八年、イェール大学の「ファージ学」教授に迎えられ、ファージ研究室を設立した。だが…

トビリシ中央細菌学研究所の所長

ゲオルゲ・エリアヴァは、デレルがニページの論文をヨーロッパで発表したその年、川水のサンプルでその活動を観察し、独自にファージを発見していた。トルコから流れるムトゥクワリ川は、トルコとグルジアのいくつかの村を抜けて流れ、トビリシでふたつに分…

地元トビリシにファージ研究所を設立

第一次大戦の戦場では、機械化した兵器が数百万の兵士を掃討していたうえ、抗生物質が登場する前であったため、数百万人の兵士が感染症にかかり、戦場で死亡していた。そのため、赤痢菌と闘う可能性のある天然微生物があるという見解は、医学界を興奮させた…

パスツール研究所

バックが感染した細菌に、デレルは球桿菌と名づけた。そしてこの菌についてもっと調べようと、デレルは家族とともにパリに移住し、パスツール研究所で無給の職を得た。給料がもらえなかったのは、デレルが正式な教育を受けていないことを、パスツール研究所…

オオトカゲの唾液

生物学者たちは、この島の村で蒸し暑さに耐え、最初の夜を過ごした。村といっても、竹でつくられた小屋の集まりでしかなかったが。土地の米と魚のご馳走を食べ、かれらはコモドオオトカゲの獰猛さについて話を聞いた。国立公園として登録され、記録が保存さ…

オオトカゲの致死性の唾液

コモドオオトカゲは致死性の唾液をもち、細菌だらけの腐肉を食べるのに、なぜそうした病原菌のすべてに免疫があるのだろうと、動物学者たちは長いあいた首をひねってきた。それはなんにしろ、強力なものであるはずだった。というのも、オオトカゲの歯は進化…

マゲイニン社の臨床試験

ザスロフは、すでにストライクをふたつ取られていた。そのうえ彼の支持者たちは、「もうゲームは九回の裏を迎えているのではないか」と心配した。だが一九九〇年代半ばには、世界各地で耐性菌が急増し、ザスロフのもうひとつの発見であるペプチドに、好まし…

スクアラミンの注射

ついにザスロフは、ツノザメのスクアラミンを精製する方法を発見し、そして「材料を胃袋から肝臓に変えた」。というのも、ニュー(ンプシャーのある企業が「週に半ドンもの肝臓を、フェデラルエクスプレスで送ってくれる」ことになったからだ。ザスロフ自身…

イェール大学医学部

一九九三年になると、ザスロフの論文に刺激を受け、数十人もの科学者が「ほかの動物にもペプチドがあるのではないか」とさがしはじめていた。さがせば、どこにでもあった七〇種類もの異なる抗生作用をもつペプチドがあった。昆虫からウシ、コモドオオトカゲ…

黄色ブドウ球菌やレンサ球菌

来るべき事態の前触れとして、二〇〇二年春には、A群レンサ球菌のエリスロマイシン耐性がアメリカ国内で前例のない急上昇を見せたと、ピッツバーグの研究者たちは報告した。エリスロマイシンはマクロライド系抗生物質で、ペニシリンを含むβ‐ラクタム薬では…

A群レンサ球菌

A群レンサ球菌は、化膿レンサ球菌ともいい、手に負えない壊死性筋膜炎をひき起こす病原菌でもあり、その菌株は八〇種にも及ぶ。最初、ヒトののどにはいりこんだときにはすべての菌株が生きており、咽喉炎、猩紅熱、腎疾患などをひき起こす。一部のレンサ球…

サプリメント

十二月十八日、イヴァンジェリンは退院した。左手の人差し指はひどく変形していたが、レイ医師の手術で切除されたのはほんの指先だけだった。イヴァンジェリンは、その人差し指を「信頼の指」と呼んだ。信頼、そして前向きな考え方が、自分の命を救ったのだ…

医師に連絡

その後の十日間、イヴァンジェリンは、死線をさまよっだ。病院のベッドに固定され、モルヒネや抗生物質を静脈投与するチューブにつながれ、黒ずんだ手は天井から吊り下げられていたが、それは医師の説明によれば「悪い血」を「よい血」から隔離するためだっ…

スタンフォード病院

夫が五時間に及ぶ治療を病院で受けているおいた、イヴァンジェリンは待合室に座っていたが、ひどいインフルエンザのような徴候を感じていた。同時に、あの小さな「紙で切ったような切り傷」の痛みは増すばかりだった。イヴァンジェリンは、自分は痛みに強い…