透明な円は「プラーク」(溶菌斑)

 メリルは、この発見を一九七三年に発表し、二十年ものあいだ、それについてほとんど忘れていた。だが抗生物質の耐性の記事を読むうちに、メリルは、ふたたび自分の初期の実験について考えるようになった。肝臓と脾臓によってファージが追い払われずにすめば、ファージは感染部位に到達し、急速に増殖し、抗生物質の選択肢がなくなった医師にとって、すばらしい代替薬になるかもしれない。国立衛生研究所の遺伝生化学研究所の所長となったメリルは、ニューヨークを拠点に活動している構神科医で、技術移転に関わっているリチャードーカールトンに会った。カールトンは、敗血症性ショックと闘う新薬の可能性をさぐっている研究者だちと仕事をしていた。彼は、メリルが若いころにおこなったファージの実験の話を聞くと興奮し、もっとファージの研究を進めるよう熱心にすすめた。そこで、メリルと国立衛生研究所の同僚サンガー・アドヤが、大量のファージをある動物に注射したところ、一時間後には大半のファージが洗い流されることに気づいた。その勁物の血液を採取し、培養シャーレに置いたところ、それでもいくつかのファージがまだ泳ぎまわっていた。この血液に細菌をわえると、透明な小さな円かできたため、まだ活性のあるファージが細菌細胞を抑制していることがわかった。こうした透明な円は「プラーク」(溶菌斑)というもので、さらに多くの娘ファージで構成されていた。これらは突然変異体かもしれないと、メリルは考えた。こうしたファージは、ほかのファージより頑丈であったからだ。彼は変異体を別の動物に注射し、おなじサイクルを生き残ったファージを集めた。メリルがこの作業を十回ほどくりかえしたところ、とうとう、ほぼ純粋に培養された、頑丈でけんか好きな変異体ができあがった。こうしたファージは、肝臓と脾臓の排出力に抵抗することができた。メリル、アドヤ、カールトンの三人組は、この工程を「連続継代」と名づけ、政府の代理として特許権を獲得しだ。