分子生物学

 カール・メリルは、二十世紀後半のおおかたの分子生物学者と同様に、ファージについて学んでいた。それはウイルスであり、遺伝子を細菌にうつし、増殖することができる。分子遺伝学のたいへん重要なツールだ。一九四五年、サルバドールールリアとマックス・デルブリュックは、ファージがどのように細菌の複製機構を乗っ取り、細菌のかわりにファージをつくらせるかを研究した。なぜ細菌のなかには、この乗っ取りに抵抗するものがあるのだろう? ルリアとデルブリュックは、自然に起こる突然変異が、その原因であることを立証した。そしてルリアとアルフレッドーデイは、ファージもまた細菌の突然変異に対抗し、しばしば突然変異することを立証した。つまり、ファージは、つねに相手を出し抜こうとしているのだ。これとは別にマーサーチェイスは、ファージが細胞の中に挿入し、細菌に子孫のファージをつくらせる物質こそがDNAであることを立証した。同時に、こうした発見により、遺伝子を細菌にうつすというファージの特徴が明らかになり、ここからジェイムズ・ワトソンとフランシスークリックの一九五三年の解明が生まれた。DNAの構造が「重らせん」であり、それに遺伝子が乗り、生物学的な生命の要となっていることが解明されたのである。

 一九六〇年代、カールーメリルが、研究医師として国立衛生研究所で勤務をはしめたころ、ファージを利用してすべての種類の遺伝子を動かそうという初期の研究がおこなわれていた。この分野は新しかったので、こうしたウイルスが周囲にあっても安全かどうか、だれにもわがらなかった。メリルは、国立衛生研究所での研究課題のひとつとして、ファージがどの程度安全であるかを判断しようと努めた。

 その答えはややあっけないものだった。大半のファージはいたって安全であり、なかにはわずかながら信用できないものもあったが、簡単に避けることができた。だが、この課題に相当な注意を払った結果、「ファージは遺伝子を、ただの細菌細胞ではなく、ヒトの細胞を含む哺乳動物の細胞に運び込む場合がある」と、メリルは判断した。だが、ファージはそこで増殖することはできなかった。この事実はメリルの同僚に、そしてクローニングの未来の奇跡に衝撃を与えた。こうした遺伝子を運ぶのは、溶原性ファージと呼ばれた。細胞を破裂させるのではなく、宿主細胞に植民地をつくるファージである。だがメリルは、細胞を溶かす、つまり細胞を破裂させるファージをヒトの治療に利用できるのではないかと考えた。そしてデレルとエリアヴァの数々の逸話、「ファージ」の浮上と早い衰退の物語に魅せられていった。ヒトの治療へのファージの応用に不信をもってきたのは、大きな、無用な悲劇であったと、メリルは考えるようになった。もしかすると、その不信をとりのぞくうえで、自分は役に立てるかもしれない。