トビリシ中央細菌学研究所の所長

 ゲオルゲ・エリアヴァは、デレルがニページの論文をヨーロッパで発表したその年、川水のサンプルでその活動を観察し、独自にファージを発見していた。トルコから流れるムトゥクワリ川は、トルコとグルジアのいくつかの村を抜けて流れ、トビリシでふたつに分かれる。トビリシ中央細菌学研究所の所長としてエリアヴァは、この川が地域を定期的に襲うコレラの発生源かもしれないと考え、川水のサンプルを集め、おそろしい病気の原因となる細菌が含まれているかどうか確認しようとした。彼は川水を数滴、スライドグラスに垂らし、注意深く顕微鏡のレンズの下に置いた。彼の直観は正しかった。スライドには、コレラ菌の個体群が豊富にあった。夢中になって観察しているところを、彼は緊急会議に招集された。エリアヅアは、スライドを顕微鏡レンズの下に置きっぱなしにした。経営上の職責を果たし、彼は三日後にスライドのところにもどってきた。もうスライドはすっかり乾いているものと決め込んでいたのだが、驚いたことに、スライドは川水のサンプルでおおわれており、水は蒸発していなかった。もっと驚いたことに、コレラ菌は消えてなくなっていた。なにが起こったのだろ? 彼は数回、実験をくりかえした。そしてデレルとおなじように、エリアヴァは仮説を立てた。「なにか小さな微生物、顕微鏡では見えないものが、細菌を殺したにちがいない」と。だが、一九一八年、微生物学の研修でパスツール研究所に出向し、奇人デレルのファージ説を耳にしたとき、エリアヅアは、初めてなにが起こったのかを理解したのだった。

 エリアヅアは、デレルと同様、ぶしつけで大げさな印象をもたせる男だったが、デレルよりずっと愉快たった。たとえば、デレルとはちがいユーモアのセンスがあった。一本気のカナダ人デレルとは異なり、芸術を愛し、上等のワインを愛し、美しい女性を愛した。知的であると同時に社交好きで、丸顔のエリアヴァは、すぐに排他的なパリジャンのご機嫌をとっだ。まもなくエリアヴァは、+分に周囲から尊敬されていると感じるようになり、物議をかもしたデレルの実験をくりかえす許可を所長エミールールーに申請した。申請は認められ、実験はうまくいった。感心したルー所長は、辺地で自己憐憫におちいっていたデレルに電報を打ち、吉報を知らせた。このフランス系カナダ人はパリにあわててやってきた。研究所の建物にはいるなり、デレルは叫びはしめた。「グルジア人はどこだ! おれにそいつを見せてくれ!」エリアヅアがあらわれると、ふたりは旧友のように抱きあった。