オオトカゲの致死性の唾液

 コモドオオトカゲは致死性の唾液をもち、細菌だらけの腐肉を食べるのに、なぜそうした病原菌のすべてに免疫があるのだろうと、動物学者たちは長いあいた首をひねってきた。それはなんにしろ、強力なものであるはずだった。というのも、オオトカゲの歯は進化的な珍事としてとらえられているからだ。かみそりのように鋭く、サメの歯のようにのこぎり状のオオトカゲの歯は、ゴム質でおおわれている。あごがえじきをとらえ、囗をさっと閉じれば、歯がゴムを切り裂いてでてくる。そこから、オオトカゲの致死性の唾液が、えじきの血流にはいりこむのだが、オオトカゲ自身は感染しない。

 「十中八九」と、スチュワートはしめくくった。「コモドオオトカゲの細菌は、数百万年ものあいた免疫システムと闘ってきたのだろう。そしてたがいに平衡をとろうと、双方の側かますます強力になってきたのだろう」

 三年近くかけて、フレデキングとふたりの同僚は、ようやくコドモオオトカゲの唾液のサンプルを得る許可を得た。コモドオオトカゲは絶滅の危機にあり、生存しているほぼ六〇〇〇匹がコドモ国立公園内で発見され、いくつかの島にまたがるこの公園は、いまでは世界遺産に登録されているため、インドネシア政府とアメリカ政府の双方に申請しなければならなかったのである。ついに一九九五年十一月三十日、きわめて重大な日がおとずれた。フレデキングとシンシナティ動物園爬虫類館長ジョンーアーネットは、バリ島に飛んだ。そこでかれらは、バリのウダヤナ大学生物学教授で、コモドオオトカゲの専門家であるプトラーサスツルワン博士と会った。時差ぼけをなおすのに二日をかけ、それからおなじイ
ンドネシアのフローレス島に飛んだが、乗ったのが小型のフォッカー戦闘機だったため、ようやくコモドオオトカゲに対面できるという期待以上に、フレデキングは緊張した。

 翌日、かれらはフェリーでコモド島に渡った。フレデキングには、また神経がまいる経験となった。なにしろフェリーは何度か沈みかけだのだから。遠くから見ると、島は切り立った断崖が突きだし、霧でおおいかくされているようだった。近づくと、海岸線には岩の多い出鼻が並び、入り江には砂浜があった。陸地はほとんどが乾燥しているようで、サバンナが起伏し、丘の中腹まで竹林が見えた。島にはシカ、スイギュウ、イノシシ、マカックザル、野生のウマなどの哺乳動物が生息していたが、どれも人間によってもちこまれたものだった。だが、コモドオオトカゲがどうやってこの島にやってきたのかは不明たった。古生物学者は、この属はアジアで二千五百年前から五千年前に進化した爬虫類としてであり、恐竜としてではないIと考えており、アジア大陸オーストラリア大陸が衝突したときに、オーストラリアに移住したと考えていた。インドネシアは当時、もっとオーストラリアのそばに位置していたため、オオトカゲは島まで泳いでいって繁殖し、島にはかれらを食べる捕食者がいなかったため、時間の経過とともにどんどん大きくなったものと考えられた。