オオトカゲの唾液

 生物学者たちは、この島の村で蒸し暑さに耐え、最初の夜を過ごした。村といっても、竹でつくられた小屋の集まりでしかなかったが。土地の米と魚のご馳走を食べ、かれらはコモドオオトカゲの獰猛さについて話を聞いた。国立公園として登録され、記録が保存されるようになってから、この十五年のあいたに、八人の村人が、ほとんどが子どもだったが、コモドオオトカゲに襲われ、殺されたという。ひとりの老人はひと休みしようと、ある小道のわきに横たわった。彼のあおむけになった様子がいかにも無防備で、おおいに食欲をそそったのだろう。この老人もまた、コモドオオトカゲの鋭いあごの犠牲となった。

 一九二六年、アメリカ自然史博物館を代表してW・ダグラスーバアンが、この島に到着し、初めて島に生息する動物の正式な調査をおこない、この動物を二七匹捕獲し、コモドオオトカゲと名づけてから、証明はできないものの、さまざまな話が伝えられてきた。八上アンはまた、初めてコモドオオトカゲをニューヨークにもちかえった。彼は自分の冒険談を語って聞かせ、この話を耳にした(リウッドのプロデューサー、メリアム・C・クーパーの想像力に火をつけた。クーパーはコモドオオトカゲをゴリラに変え、女優のフェイーレイをくわえ、一九三三年、映画『キングーコング』を世に送りだした。

 コモドオオトカゲがおびえたヤギの腹を切り裂くのをフレデキングが目撃したのは島に到着した翌朝のことだった。彼は、鎮静剤入りの銃弾を撃ってコモドオオトカゲを捕獲しようかと考えたが、すぐにその考えをもみ消した。というのも、鎮静させられたオオトカゲは仲間に食べられやすいと聞いたからだ。コモドオオトカゲは共食いをする。たがいを食べるだけではなく、自分の子どもでさえ食べる。卵からかえったばかりのコモドオオトカゲは、生物学的な必要から、高い木にあわてて登り、最初の二年間は樹上に棲む。下にいる両親のカチカチ鳴るあごから逃れるために。

 鎮静剤を使うかわりにフレデキングの一行は、先端が二股に分かれた長い棒と、クロコダイル捕獲用の端に広い輪なわのついた延長できる棒を握りしめ、隠れていた場所からとびだした。輪なわをオオトカゲの頭にひっかけ、ぎゅっとひっぱる。まごついたオオトカゲが反応する前に、六人の男たちが飛びかかった。ジョンーアーネットがオオトカゲの頭を押さえ、ダクトテープをぐるぐる巻きはじめた。ほかの男たちは、その爪のある指をひらき、やはりテープを巻いた。レーンジャーはオオトカゲの強靭な尾をとりおさえた。フレデキングはオオトカゲの唾液を採るために持参した長い綿棒に手を伸ばした。彼はオオトカゲの怒り狂った眼を見て、身をすくませた。その第三の眼に。それは頭蓋のてっぺんにある「頭頂眼」で光を感知する器官として機能している。彼はオオトカゲの唾液をそっとつついたが、非常に濃厚でねばねばしているのに驚いた。まるでワセリンのようだった。ひとつ、またひとつと、つぎつぎにサンプルがガラス瓶にいれられた。フレデキングは至福の瞬間を味わっていた。そのとき、ほかの人間が、心底おびえた口調で、こう言うのが聞こえた。「なんてこった」