サルモネラ菌、赤痢菌などの腸内菌の増殖を予防するためにファージを投与

 ひとつだけ、例外があった。一九八二年から、イギリスの研究者ウィリアムズースミスとマイケル・ギンズが、動物におけるファージの作用を研究した。かれらはヒトの汚水処理場、家畜市場、農場からファージを集めた。ファージは、基本的にどこからでも採集できるものであり、ギンズが言うには「糞があるところならどこからでも入手できる」ようだった。かれらは大腸菌の致死性菌株に感染したマウス、子ウシ、子ヒツジ、ブタにファージを投与して治療に成功し、家畜に関してはヒトが介在せずにファージが家畜から家畜へと移動できることをしめした。いわば伝染性の治療である。ギンズは、のちに、「研究していた病気のウシがファージで治療されると、その下痢がすぐにおさまっだ」と報告した。有効性はI〇〇%たった。スミスと(ギンズの研究、そして、イギリスのジェイムズースシルが、緑膿菌に感染したモルモットとマウスをファージで治療した結果を受け、数名の微生物学者が、ファージの効果は検討する価値があると考えなおした。そのなかには、グレンーモリスも含まれていた。だが、こうした研究者は数えるほどしかいなかったし、たいてい軽視された。

 エリアヅア研究所では、ファージに対する西側の無関心など、まったく問題ではなかった。ゲオルゲーエリアヴァとはたらき、そこから去ろうとしなかった研究者にとって、一九八〇年代は黄金時代たった。ファージは錠剤や液体で薬剤として製造され、ソ連全域で販売されたのである。ソ連軍は、ファージをガス壊疽の予防薬として利用した(最近では、チェチェン共和国との紛争地帯に兵士たちはファージを持参した)。小児病院の子どもたちはサルモネラ菌赤痢菌などの腸内菌の増殖を予防するためにファージを投与された。嚢胞性線維症患者の緑膿菌感染症、尿路感染症ブドウ球菌感染症にもファージが利用された。皮膚のブドウ球菌感染症には、パウダー状のファージが使われた。全身性のブドウ球菌感染症には、特別なファージ治療薬が、点滴、輸液、注射などにより、静脈を通じて投与された。研究所内の工場で一日ニトンものファージが製造され、その大半がグルジア国境を越え送られた。ソ連国内には、ほかの工場も散在しており、トビリシと生産量を調整しつつ、もっと大量に製造されるようになった。政治体制の崩壊にともない、大半のグルジア人が仕事を奪われていくなかファージ製品は莫大な利益を生み、七〇〇人もの研究者と技術者を支えていた。