マゲイニン社の臨床試験

 ザスロフは、すでにストライクをふたつ取られていた。そのうえ彼の支持者たちは、「もうゲームは九回の裏を迎えているのではないか」と心配した。だが一九九〇年代半ばには、世界各地で耐性菌が急増し、ザスロフのもうひとつの発見であるペプチドに、好ましい意味での注目が集まるようになった。ペプチドは、細菌が獲得した耐性のすべての新しいメカニズムにまったく影響を受けていないようだった。興味をもっだFDAは、マゲイニン社にもういちどペプチドを試す機会を与えた。こんどは膿疱疹よりもっと重症の局所感染症、「糖尿癇性潰瘍」である。FDAが知るかぎり、こうした痛みをともなう足の病変に投与する抗生物質には、患者を衰弱させる副作用がともなうため、患者はたいていその薬を服用するのをやめてしまうのだった。とはいえ、その病変部位が感染すると、細菌は筋肉や骨に侵入するため、ときにはおかされた肢の切断に追い込まれる場合もあった。それにくわえて、いま、こうした抗生物質への耐性が強くなっていた。なお悪いことに、もっとも効果があるとされていた〈トロバン〉が肝臓に有毒であるという理由で、市場から撤退したのである。ここに、ペプチドがぴったりと埋めることのできる、現実の需要-そして市場のすき間-があると思われた。

 糖尿癇性潰瘍の患者は、偽薬により取り返しのつかない害をこうむる可能性があるため、偽薬を用いる試験の必要はないと、FDAは除外規定を設けた。そこでザスロフのペプチドは、オフロキサシンというフルオロキノロン抗生物質とくらべて、より効果があるか同程度の効果があることを立証しなければならなかった。オフロキサシンは、患部に塗る軟膏ではなく、経口薬だった。マゲイニン社は臨床試験の第一相をなんなく終えた。前回の試験と同様に、ペプチドは健康な人々の皮膚には害を及ぼさな  かった。臨床試験の過程を速く進めようと、FDAは、マゲイニン社につぎの第二相と第三相の臨床試験を組みあわせておこなわせた。一九九五年から九七年にかけて、アメリカ国内の五〇以上の医療施設で、約一〇〇〇人の患者が協力したのである。かれらは重篤の患者であり、病変部位には激しい痛みがともなっていた。医師がペプチド溶液を綿棒で病変に塗ったところ、大半の患者の症状は改善したう
だった。