貧乏学者の父が残した財産
貧乏学者だった私の父がよく言っていた。
「おまえたちに残す財産はないが、もっといいものを残してあげる」、と。
もしかすると、親が子どもに残してやれる本当の財産とは、こういうことなのかもしれない。
両親は子どもの英語の勉強方法については何もわからなかっか。だが、それを知っている人を知っていた。そして、その人(Y先生)に私を引き合わせる手間を惜しまなかった。
「すべてのことを知る必要はない。誰に聞けばわかるのか、どこに行けばわかるのか、それを知っていることの方が大切だ」
そのことを両親は身をもって教えてくれた。
豊かな人間関係を築くこと。心許せる知己を持つこと。これが、大人になった私がいま、自分の子どもにあげられる贈リもののような気がする。手がまわらないこにともいいことだ
私があのときの両親の立場にあったら、どのような行動をしていただろう。Y先生のように親身になって相談にのってもらえる友人知人がいるだろうか。
心あたりはないこともない。
娘が看護婦さんになりたいと言いだしたらあの人に相談しよう。カメラマンになりたいと言ったら、あの人がいい。
「○○さんにどうしたらいいか聞いてみる?」
もちろん、子どもがそうしたいと言えばのことだが、相談にのってもらうようその人に頼んだとする。あるいは子どもといっしょに相談に行くとする。
仮に、私の子どもがあのときの私と同じように、○○さんから本の一冊や二冊もらって帰ってきたとしよう。
問題は、私のそのあとの対処の仕方なのである。
「○○さんからいただいてきたご本、ちゃんと読んだ?」
「どんな本だったの? OOさんに今度お会いするときには感想を言いなさいね」
「ちゃんとお礼状を書いておきなさいね」
わが子にそそぐ自分の視線の濃さを考えると、こうしたセリフの一つや二つ、口をついてでてくるかもしれない。子どものためにせっかく時間をさいてくださった、その人に対するありがたさや申し訳なさも加かって、それにちゃんと子どもが応えてくれるかどうか、きっと気になるに違いない。
ところが、私の両親は一言もあとのフォローをしなかった。
一Y先生にいただいた本、ちゃんと読んだ?
こういう類の質問は、不思議なことに両親から一度も聞かれなかったのである。
もしも、あのとき彼らからこういうチェックが入っでいたならば、私にとって英語で本を読むことは「義務」になっていたかもしれない。子どもにとって「義務」は「イヤなこと」と紙一重のところにある。
もしかすると、私はそれを義務とは感じなかったかもしれない。特に、親の期待が強く、またそれについ応えようとしてしまう長男長女症候群を色濃く内在させていた私のことだ。他人の期待に応えることは喜びであったりする。
だが、本を読むことが義務や他人の期待に応えるためにするだけのものに成り下がっていたとしたら、私はあんなにワクワクして本を読まなかったと思う。
私をY先生の所へ連れていってくれたことは本当に有り難い。しかし、もっと有り難いことは、そのあとまったくプレッシャーをかけなかったことだ。
「Y先生にもらった本ちゃんと読んだり・ つてどうして私に聞かなかったの?」
ずっとあとになってから、こう母に尋ねたことがある。
母は笑いながら答えた。
「そんなことまで手がまわらなかったわよ」
そう、手がまわらなかったのだ。
私を頭に四人の子どもたち。食事のしたく、あとかたづけ、どれ一つとっても戦争だ。娘が「課題図書」をちゃんと読んでいるのかどうかなどと些細なことにはこだわる余裕がなかったのだろう。
子がまわりかねる、目が届かない、子どもの行勤を親がチェックできない、そういうことは、逆説的なことではあるのだが、子どもの「やる気」を引き出す上でたいへんありがたいことのような気がする。
「それに、読め読めってうるさく言わなくても、自分で勝手に読んでいたんじゃないの?」
そういえば、物心ついてから親に「本を読め」と言われた記憶が一度もない。よくテレビドラマで子どもに「勉強したの?」と口うるさく言っている親がでてくるが、私はかなり長いあいだ「あれはテレビの中だけの話だ」と思い込んでいたような気がする。言われなくても本を読んでいたのなら、どうして自分で本を勝手に読むようになっていたのか。その答えはいまでもよくわからない。
ただ、一つだけはっきりわかっていることがある。それは、もしも「本を読め読め」と口うるさく言われていたら私は本が嫌いになっていただろう、ということだ。
本を読め、
勉強しろ、
宿題はちゃんとすんだの?
子どもの「やる気」を失わせるために、こんなに有効な手はないのかもしれない。