財産は人間関係

 

 フットボールに熱中している恋人ができたとたん、フットボールに興味が沸くことがある。それまでフットボールなんか見なくても、である。人と人との出会い、これこそが心の海図を広げる一番確かな方法だという気がしてならない。

 

 私が留学するとき、父がアメリカの地図を持ち出してきて赤いペンであちこち印をつけてくれた。赤い印は彼の知人がいる場所である。

 

 ここにはこの人がいるからぜひ訪ねるように。ここのこの人にはこれを届けるように」

 

 農場を経営している日系人のM氏、仏教会のお坊さん、カントリーライフを実践している大学教授のN氏、台湾から移住し自分の特許をもとに大きな会社を作ったC氏……。父は

やたらと交友範囲の広い人だった。

 

 三人の弟たちがアメリカに旅行したときも同じだった。知人リストを手渡され「ぜひ訪ねるように」と言われた。

 

 だが正直なところ、これは子どもたちにとって少々ありがた迷惑でもあった。旅行プランが束縛されるからだ。「そんなにたくさんまわれないよ」、「磁場の強い親を持つと子どもは苦労する」、そんなことを四人ともブツブツ言っていた。

 

 だが、いまになってようやくわかる。父は子どもたちにできるだけ多くの人に出会うチャンスを作ってやりたかったのだ。M氏からは戦時中の日系人強制収容所での生活を聞かせていただいた。丁師からは仏教の教典について、N氏からは蜜蜂の飼い方やヤギ一頭の解体の仕方を、そしてc夫人からは中華ちまきの作り方を、それぞれ私は教わった。それを通して私は多くのことを学ばせてもらい、彼らとの出会いを通して心の海図を広げてもらった。そう、父は自分の子どもたちの心の海図を広げてやりたかったのだ。

 

 Y先生のお宅へおしゃまするときも、父は私たちをよく連れていってくれた。しょっちゅう遊びに行っていたからこそ英語の勉強も相談できたし、Y先生に出会わせてくれていたからこそ、私は海図を手に入れることができたのだ。

 

 あの日からしばらくして、「『アンネの日記』はむずかしすぎた」、と私が彼女に伝えたときもそうだった。そのときお宅にうかがったのが一人でだったのか、それとも両親といっしょにだったのかは覚えていない。だが、「あれはむずかしすぎてよくわからなかった」と率直に言えたとき、少しほっとしたことを覚えている。

 

 読みこなせない本をもらい、読まなきや読まなきゃと思いつつも抱え込んでいるのはいい気持ちではない。「読もう」という意欲はそのうちに「読まなくさや」という義務感に変わり、悪くすると「読めなかった」という挫折感だけがあとに残る。あのときこの悪循環から脱出できなかったら、たぶん私は『ドムソーヤ』も『ハックルベリーフィン』も原書で読むチャンスを逸していただろう。小さいときからかわいがっていただいていたからこそ、彼女にそういえたのだと思う。「読めなかった」ということを正直にいえる関係を、父はY先生と私の間に作ってくれていたのだ。