子どもの英語とは

 子どもの英語とは何を意味するのか、一つ例をご紹介しよう。

 

 私の子どもが英語を「しゃべった」のは二歳半のときだった。

 

 「へえ?/」とびっくりして、二体どうやって教えたの?」と、聞きたがる。

 

 そのからくりは、実はこういうことなのである。

 

 子どもが二歳半のとき、アメリカ人のRさんが私たちの家に泊りに来た。Rさんはかなり年配の紳士で、日本語がまったくわからない。したがって夫と私と彼の三人は英語で話していた。「大人の話」が訳のわからない言葉でかわされるので、麻里恵はしばらく一人でおとなしく遊んでいたが、退屈したのだろう、なんとか自分の方に注意を引こうと彼女なりに考え始めたらしかっか。

 

 まず、持ってきたのは英語の絵本。これはずっと前に買い与えていたのだがまったく見向きもしなかった本である。それをわざわざ引っぱりだしてきて、「ほら、こんなのもあるのよ、えいごの本よ」と言わんばかりにRさんに見せ始めた。

 

 「へえ、英語の絵本を持っているの? どれどれ、あ、カバがいるね。こんな大きな鼻のカバが風邪をひいたらどうするんだろう? おおっきなティッシュペーパーがいるかな?」

 

 Rさんはお愛想まじりで娘の相手をしてくれるが、英語で話しているので彼女にはまったく通じない。何を言っているのかわからないから、だめだ」といった感じで彼女はRさんの子から絵本をひったくると、今度はピアノの上によじ登り、そこに置いてあった私たちの結婚写真を手に戻ってきた。

 

 「ねえ、見て見て」と、再度挑戦(結婚写真を誰かに見せるというのも初めての行勤だ)。

 

 仕方がないので子どもの相手をしてやるRさん。

 

 花嫁姿の私を指さし、

 

  (これはだれ?)

 

  そのときである。麻里恵の顔がパッと明るく輝き、得意満面の笑顔ではっきり彼女はこう言ったのだ。 

 

 「マミーノ」 (ママよ)

 

 ことかってあくび、彼女がこの時点でという文の意味を知らなかったということを、私は一〇〇パーセントの自信を持って断言できる。教えていなかったからだ。あえて言えば、一歳ごろから時々ピクチャーディクショナリーと呼ばれる絵つきの辞書を見せながら、タイガーだのエレファントだのという単語をポツポツ教えてやり、そのついでに「お母さんはマミー、お父さんはダディー」とは教えてやっていた。だが、私たちの日常生活の中で「マミー、ダディー」と呼びあうこと、つまり実際に「使う」ことは一度もなかった。

 

 だが、彼女は写真の中の花嫁を指さしながら彼が言っているのが、「これはだれ?」という意味だろうとアテをつけ、文脈をとらえた。そして、その文脈の中で「ママだよ」と答えたのである。

 

 この一件で注目したいのは、相手の言っている言葉の意味がわからなくても「これはだれ?」と聞いているんだな、と子どもが推測できたということだ。文脈を推測し、アテをつけ、しかも実際のシチュエーションの中で「マミー/」と発話した。彼女の口からでた言葉はマミーの一言。しかし、彼女はこの言葉を一連の文脈の中で発したのだ。この事実をもって私は彼女が英語を「しゃべった」と判断する。

 

 彼女はただただ自分に気を引きたかった。お客様の注意を引くための手段の一つとして一番有効だと判断したのが彼とコミュニケーションをとることだった。彼とお母さんたちがしゃべっている訳のわからない言葉は「えいご」だろう。彼女は彼女なりに必死で考えをめぐらしたに違いない。まず「えいごの本」を引っぱりだしてきてみせた。だが、その本を介在させても彼の言っていることはわからない。カバがどうのこうの、という内容の文脈は彼女には複雑すぎたのだ。そこで自分か知っているマミー、ダディーを話題にしてみよう、と結婚写真を見せたのだ。

 

 2歳の子どもでも文脈をとらえることができるというのも、実は驚くにはあたらない。ある説によると、人と人がコミュニケーションをする上で二亘語そのものが伝えるメッセージは全体のわずか七八-セントにしか過ぎないという。あとの九三八-セントはジェスチャーや顔の表情、そして声のトーンなどで伝わるというのである。

 

 よく、犬が飼い主の言葉を理解できるといわれるが、それは犬がご主人様の顔の表情やちょっとしたしぐさの意味を解読できるからである。子どもを犬と比較するのは少々気がひけるが、私たちの子どもが英語をしゃべったというのも、大がたとえば「さあ、ごはんよ」と言う人間の言葉を理解できるのと五十歩百歩なのではないだろうか。