小さい頃からの英語は必要か
小さいうちから英語に親しむ、そのこと自体は決して悪いものではないのだが、それだけで自動的に英語ができるようになると思うのは大まちがいである。
子どもは語学の天才、の正体
「どうしてそんなに英語が話せるのですか?」
この質問を私は何人の人から聞かれただろう。
そう聞かれるだけに私は「一生懸命勉強したからです」と答えることにしている。
一生懸命勉強した。
本当のところ、私か曲がりなりにも英語が使えるようになったその理由は、これに尽きるのである。
実は十一歳から十二歳までの一年間、アメリカで生活したことがある。父の仕事の関係で一家六人コロラド州のデンバーで暮らしたのである。一九六九年から一九七〇年のことだった。私はそのころにはまだめずらしかった帰国子女のハシリなのである。
だが、
「小さいころアメリカにいました」と言うと、
「なーんだ、そうか。それなら英語ができて当然だ」、という顔をされる。
それがシャクにさわるのである。
アメリカにいたといってもたったの一年間である。それで英語ができて当然と思われては困るのだ。
確かに発音とヒアリングという日本人がもっとも苦手とされる部分では、一年間という短い期間ではあったが、かなりトクをしたと思っている。
だが言葉というものは「発音とヒアリング」だけで成り立っているのではない。
私には三人の弟がいる。アメリカに行ったときは、十一歳の私を頭に、九歳、五歳、二歳半という顔ぶれだった。この四人のうち私と一番上の弟だけは地元の公立小学校に通うことになった。当地に着いて三日目のことである。母親に手を引かねて校門をくぐり、母が校長室でなにやら簡単な説明を受けたあと、事務室のおばさんからランチカードと呼ばれる給食の券を渡されて、母とはそこでバイバイ。まさに「ぽつりこまれた」という感じでアメリカの学校生活か始まった。
そのとき私が知っていたのは「ハロー」と「ハウドウユードウ」と、トイレに行きたいとい う意味の「アイウォンツーゴーツーザレストルーム」のみ。トイレのドアに書いてある文字も読めなかった。読めなかったからその日はまちがえて男の子のトイレに飛び込むという失敗もしでかした。
そんなわからない状態だったが、三ヵ月後にはけっこうたくさんの友達ができてい
たのを覚えている。彼らとはどうにかこうにか意志の疎通ができていた。このことを思えばやっぱり子どもは語学の天才だろう。しかも子どもが小さければ小さいほど、覚えるのもまた早い。事実、下の弟は私よりずっとずっと早く英語を覚えていった。
「おねえちゃん、発音できる?」
と、得意げに聞いてきたのも彼である。
これには日本人の苦手なRとLの発音がまじっている。
「かたくして、ライオンみたいにうなればいいのさ」
こともなげに答える彼の言葉に「ちえ、先を越されたな」と悔しく思いながらも、彼の言うとおりにしてみれば、それらしい発音ができるのだ。
一方、当時四十二歳の父は「のどをかたくして、ライオンみたいにうなる」という具合にはうまく事が運ばなかった。何力月たっても酒屋で「ラム酒が欲しい」という注文が店員に伝わらなかったし、アイスクリームショップでは(バニラ)がわかってもらえない。
語学習得の速度だけから考えれば、四人の兄弟のうち末の弟の上達が一番早かった。本当にあっというまに「ワン、ツー、スリー」と口ずさむようになっていたし、家に遊びに来ていた近所の赤ちゃんがテーブルクロスをひっぱろうとすると、おむつでモコモコするおしりを振りながらヨチヨチかけ寄り「ドンタッチ」と制止する。
語学の学習は早ければ早い方がいい。
しかし、肝心なのはここからだ。日本に帰国してからどうなったか。私たちの英語はあっと
いうまに跡形もなく消え去っていったのである。まるで帰る途中の飛行機の中でポロポロ頭か
らこぼれ落ちたかのように。
子どもはすらすら覚えるが、しかし忘れるのもまた早い。
「二歳から英語をしゃべった」のからくり
あっというまに覚え、そしてあっというまに忘れる子どもの英語。
問題は、そのあっというまに覚えていく「子どもの英語」をどう「大人の英語」に結びつけていくのか、ということだ。