「エマージングウイルス(出現ウイルス)」による感染症が多発

輸送の高速化と地球温暖化が拡散に拍車をかける

ウイルスは人類に大きな被害をおよばしてきた。もちろん人類だってただ手をこまねいていたわけではない。ワクチンを発明したり、衛生環境を向上させたりと、さまざまな知恵を絞って策を講じてきたのだ。だから、当然、感染症は減少したと思われてきた。

 しかし、SARSウイルス、HIVエボラウイルスC型肝炎ウイルスなど、これまでに予想もしなかった「エマージングウイルス(出現ウイルス)」による感染症が多発しているのは、どう説明すればいいのか。このエマージングウイルスには、次の2つのパターンがある。

①局地的な感染であったものが、全体へと広がるパターン

 これは、ある限られた範囲の地域で少数の人たちが感染していたウイルスが、広い範囲に広がるものである。この代表がポリオ(小児まひ)である。

②ウイルスが種の壁を乗り越えるパターン

 これは、それまで住んできた自然ホストから他のホストにまで感染の領域を広げるものである。この代表がHIVSARS、インフルエンザである。ただし、どれも自然ホスト(あるウイルスがいつも感染している生物種で、発症はしない)は、まだ発見されていない。順番めの代表例としてポリオかおる。ポリオは、ポリオウイルスの感染によって発症する古代からの病気だが、世界的に広がっだのは20世紀になってからだ。

 20世紀になって、突然、ポリオが世界に広がっだのは、変異によってポリオウイルスの感染力や毒性が急激に増したからなのだろうか。そこでポリオウイルスの遺伝子を調べてみると、塩基配列は数百年間きわめて安定し、変異は見られなかった。ポリオウイルスの感染力が上がったわけでも、より毒性の強い株に変異したのでもない。

 では、なぜ、1900年代になってからポリオウイルスの感染が爆発的に増加したかというと、産業革命が終わるころには、ウイルス感染が広がるのに好都合の環境ができあがったからである。その環境について考えてみよう。

 当時、世界の大多数の人々はポリオウイルスのない、つまり感染者がいない地域に住んでいた。彼らはポリオウィルスに対する抗体を持っていなかったのだ。免疫を持だない彼らは、労働力として移動をはしめた。そして彼らが移動した先には、ポリオウイルスを持ち免疫のある人々が住んでいた。こうして、ポリオウイルスは新しく移住した労働者の問に迅速に広まり、多くの死者や犠牲者を出してしまったのである。

 2番めの種の壁を乗り越えるパターンを、HIVを例に説明しよう。免疫不

全ウイルスはヒト以外にもサルやネコにもあり、それぞれSIV:サル免疫不全ウイルス)、FIV : ネコ免疫不全ウイルス)と呼んでいる。 HIVはヒトに、SIV
はサルに、FIVはネコにエイズを発症させる。

 さて生物学的に見て、サルとヒトはきわめて近い。そこでSIVとHIVの塩基配列を比べると、両者は非常に似ていることが判明した。かつてヒトはHIVを持っていなかったから、SIVからHIVへの変異が起こったに違いない。

 サルの体内のSIVがヒトに感染するには、SIVに感染したサルの血液がヒトの血液に混ざらねばならない。

 では、具体的にどのようなことが起こったのか。こう想像できる。アフリカでは、ヒトは狩りをして動物を捕まえる。その最中に狩人が皮膚、口、腕、足などに傷を負うことがある。このときに、SIVに感染したサルの血液が狩人の傷口から血液に混ざり、感染が起こったとしよう。このSIVが狩人の体内で変異して、HIVが誕生したと考えられている。

 新ウイルスの出現が、なぜ恐ろしいかというと、ヒトがこのウイルスに対する免疫を持っていないため、重症の感染者が多数発生することである。

ウイルス感染の被害を拡大する要因はいくつかある。

 1つめは、かつては新しいウイルスが他の地域に広がるのにかなり時間がかかったが、現代では輸送手段の高速化で短時間に世界のどこにでも移動できるようになったこと。

 2つめは、地球温暖イ匕によって、これまで特定の地域に限定されていた病原体が他の地域に移り住むようになったこと。たとえば、熱帯のアフリカや東南アジアにしか住めなかった病原ウイルスやマラリアなどの病原体が、媒介生物の移動によってわが国に生息するようになりつつある。

 しかも特定の薬の効かないHlVやインフルエンザが変異によって誕生しているから、他のウイルスも薬剤耐|生を獲得するはずである。エマージングウイルスや薬剤耐性ウイルスは、世界のどこで発生しようと飛行機で日本国内に約24時間で運ばれることを肝に銘じて感染対策を立てなくてはならない。