ロシア育ちのペプチド

 「ふたつの結論がでた」ホテルの会議室で、オナーは一団にむかって陽気に言った。「第一に、ファージは、抗生物質耐性の問題に取り組むうえで、すばらしい候補者だということだ」出席者は、たがいに自己満足の笑顔を加わした。「第二に」オナーがつづけた。「君たちに必要なのは、この会社について完全に考えなおすことだ」

 オナーは説明した。「わたしは四年間、ある会社がロシア育ちのペプチドに、FDAから承認を勝ち取るのを手伝ってきた。会社の設立者は二八〇〇万ドルを調達し、ファージよりもずっと市場にだしやすい製品をもっていたが、いまだに申請は認められていない」と。そのFDAが、ロシアの下水から収集した天然物質に対して、アメリカでの販売を認めるはずがない。だいいち、製品は実際に生きている微生物であり、体内で急激に増殖するウイルスであり、なにに突然変異するかわかったものではない。ハーリンテンは想像したことがなかったのか? 工場の機械で変異するウイルスをつくらせるよう製薬会社を説得するむずかしさを?・ ほかの製品もすべて汚染してしまうかもしれないウイルスを?

 室内には、度肝を抜かれたような沈黙が広がった。

 「わかった。グルジアに行こうじやないか」とうとう、ハーリンテンが囗をひらいた。そうすればオナ1自身の目で研究所を見て、ファージ担当の科学者を質問責めにすることができる。

 トビリシでは、オナーが通りを横切るには、爆弾でおいた穴を飛び越えなければならなかった。研究室にはまだ電気も暖房も通っていなかった。「そのうえ、ファージときたら! 世にもおぞましい混合物だ」と、オナーはつぶやいた。膿、尿、そして下水の糞便など、パスツールが微生物説を立証して以来、医師が注意するよう、こんこんと説いてきたものばかりではないか。オナーは、建物内で人前にだせるようになっている数少ない部屋を見学してまわっだ。研究所をあとにするとき、ここの研究者は建物を解体しようとしていると確信した。事実、見せかけだけの研究所だった。工場はといえば、まるで第二次世界大戦以前から長いあいた放置されていた自動車工場のようで、さびて役に立たない絶望的に旧式の機械類があるだけだった。グルジア人が基本的な施設を再建するためには、かれらの。新しい守護神”ケイシー・ハーリンテンから、最低八〇〇〇万ドルを引きださなければならないだろう。そして、たとえかれらがファージ製品をつくることができたとしても、FDAは決してそんな製品を承認しないだろう。

 ただ歩き去ったほうがよかったのだろうと、のちにオナーは考えた。だがファージには、なにか人を動かさずにはおかないものがあった。とにかく、しばらくのあいだは、ファージは作用したのである。この七十五年間、旧ソ連では数百万人の命を救ってきたにちがいないと、オナーは勘定した。そしていま、耐性菌の危機がしのびよるなか、西側でも東側でもビジネスにかかわる人川なら、地球規模の大きな機会がころかっていることにだれもが気づいていた。オナーはハーリンテンに「もし、ファージにFDAの承認を得る見込みが少しでもあるのなら、操業開始に必要な、明確で避けられない段階を踏まなければならない」と言った。