遺伝子操作技術の誕生

 遺伝子操作技術の発想は1971年,米国スタンフォード大学医学部の大学院生であったロバン(P.Lobban)の提出した学生レポートに端を発する.それにはのちにATテール法と呼ばれるようになった以下のようなユニークなアイデアが盛り込まれており,その斬新さは並みいる教授陣を驚かせた.

 

 大腸菌内で自律的に増殖できるプラスミド(plasmid)と呼ばれる環状DNAを直線化したのち,両端に末端ヌクレオチド転移酵素を用いてアデニン

 

(A)を数十個付加する.

 (2)別のDNA断片に同様にしてチミジン(T)を数十個付加する.

 (3)両者を混ぜるとAとT加水素結合を形成して混成分子(ハイブリッド)が形成され元の2倍程度の長さの環状分子となるので,それを遠心機で分離する.

 

 (4)DNAポリメラーゼやDNAリガーゼを用いて操作の間に生じるDNA中の隙間(ギャップやニック)を修復して完全な二本鎖環状DNAとする.

 

 (5)これを大腸菌に導入して増幅する.

 

 このレポートにヒントを得て,遺伝子操作技術という革新的な技術にまで育てあげたのはハープ(P. Berg)であった.パークはこのアイデアを利用して哺乳動物のDNAとプラスミドDNAを連結させて大腸菌の中で増幅させるという方法を思いつき,実行に移し,成功した(1972年).二のような哺乳動物のDNAを運ぶプラスミドのようなDNA分子はベクター(vedor)と呼ばれるようになった.運ばれる側のDNAとしてはどの生物も同一なので,種間を超えて接続できるという発想は,気づいてみればあたりまえのことであった.大発見というのはそういうものなのかもしれない.とにかく,このハープらの成功によってこれまで大量に調製することが困難であった哺乳動物DNAの一部を単離して解析できるようになったのである.

 

 ハープの成功に刺激されスタンフォード大学の生化学科の各研究室はこぞって遺伝子操作技術の発展に参加し,この誕生したばかりの技術を急速に進展させていった.プラスミドベクターの開発,コロニーハイブリダイゼーション,プラークハイブリダイゼーションなどの基本的技術がスタンフォード大学において数年の間に確立されている.