アンピシリン、スルファメトキサソール、トリメトプリム

 モリスは生来、非常に人当たりのよい男だが、こうした数字は彼を激怒させた。その午後、審査委員会が再開されるやいなや、モリスは獣医学センターの所長に食ってかかった。「あなたは、このNARMSの最新のデータをご存じですか?」モリスは尋ねた。「これがなにを意味するのか、おわかりでしょう? とんでもない数字ですぞ。いま、われわれに難題が課せられている。討論なんかですむ話じゃない。できることは、たったひとつだ」アンギュロもまた加勢し、椅子に座って身もだえするサンデュロフを尻目に、この二人組は獣医学センターを断固とした口調で酷評した。聴衆のなかには、サ匕アユロフと同様に、居心地の悪そうな人間がもうひとりいた。動物衛生研究所のリチャードーカーネヴァレである。そのあとにつづいたアンギュロの意見も、カーネヴァレのストレスをやわらげはしなかった。カーネヴァレは「カンピロバクター菌の食中毒など、たいした問題ではない」と言いつづけてきたのだが、それにしても、モリスが発表したその数字はたいへんな上昇率だった。カーネヴァレはこれまで「カンピロバクター菌より深刻な食中毒をひき起こすサルモネラ菌には、完全なキノロン耐性は検出されていない」と強調してきた。だが、ウェグナーがサルモネラ菌の一部に耐性が見られたと報告したあと、こんどはアンギュロが「完全なキノロン耐性サルモネラ菌の集団感染がアメリカで二件発生した」ことを、報告したのだった。オレゴン州では、フィリピンでこの耐性菌に感染したらしいひとりの患者から、ほかの八人の患者に感染が広がり、最初はオレゴン州のある病院で発生したものが、もうひとつの病院、ニカ所の老人ホームへと広かっていた。九人全員の患者の分離株は、おなじパターンの多剤耐性をもち、キノロン系のシプロフロキサシンやナリジクス酸だけでなく、アンピシリン、スルファメトキサソール、トリメトプリムースルフアメトキサソール薬に耐性があった。この集団発生は、一九九六年二月にはじまり、一九九九年十二月までつづいた。この三十五ヵ月のあいたに、最初の九人の患者からつぎつぎに感染が広がり、多くの人間が治療困難な感染症にかかった(ほとんどの場合、第三世代のセフアロスポリンが最後には効力を発揮したが、アンギュロは、「なぜだろう」と、ふしぎに思った。「なぜ、この菌はポルターガイストのようにうろつくだけで、第三世代のセフアロスポリンという屋敷の外にでていかないのだろう? キノロン系に耐性があるなら、とっくに屋敷を破壊して外にでているはずだろうに」)。フロリダ州のある病院では、七人の患者がキノロン系を含む十数種類の抗生物質に耐性のあるサルモネラ株に感染した。この集団発生は、一九九九年の七月から十二月までつづいた。それぞれの集団発生に関連性はなく、菌株も異なり、だれも命を落とさなかったが、アンギュロとCDCの同僚にとっては、十分に不吉たった。一方、CDCの依頼によりさまざまな郡で施された調査によれ
ば、サルモネラDT104分離株Iキノロンには感受性かおるが、ほかの五種類の抗生物質には耐性をもつ。この割合は、一九七九年の1%未満から一九九六年には三四%に上昇していた。