臓器移植のもつさまざまな問題点

 現在における臓器移植は、いったいどんな状況になっているのでしょうか。これから順を追って臓器移植についてのさまざまな問題点について検討していきたいと思いますが、そこで明らかになってくるのは、少なくとも現時点においてはこの臓器移植という治療法はまだまだ不完全な医療であり、それを一般的なものとするにはまだまだ多くの課題を抱えているということなのです。

 それでも臓器移植でしか助からない患者がいることも事実ですし、一方、臓器移植という治療法を選択することの社会的影響力も非常に大きいというなかで、いかにこの臓器移植を考えるのかが大変問題になってきているのです。


 脳死(死体)移植の第一の特徴は、それが他者の死を待ってはじめてはじまるという非常に特殊な医療だということです。肝臓にしろ、心臓にしろ、膵臓にしろ、人体に不可欠な臓器を摘出するということはすぐにドナーの死を意味しています。したがってドナーが完全に死んでからの摘出は許されても、それ以前の摘出はドナーに対する殺人行為以外の何物でもないということになります。

 しかし一方で、二つある腎臓もふくめて、移植の成功のためには少しでも新鮮な臓器が手に入ることが望ましく、従来の死亡俳認の時点以前の脳死段階での摘出が理想的であり、そもそもそのために脳死という新しい概念が必要となってきたのです。

 従ってレシピエントとその治療者は、少しでも早いドナーの死を待ち望むことになります。これはある意味でまことに人間性に反した状況にレシピエントが追い込まれてしまわざるを得ない技術だということを、示唆しているのです。一方でドナーの側では、何も臓器提供するために死ぬわけではなくて、何かのトラブルゆえにそういう状況に陥ったのであり、他の治療一般と同様に、少しでも延命を願うのは当然のことです。

 この当然の気持ちを抑えることを前提にあえて脳死段階で死を立告し臓器摘出の及ぶのが、脳死移植の本質でもあります。生命を救うべき医学が唯一、他人の死を当てにしなければならないという意味で、まことに特殊な医療なのです。そこには、死の線引きをめぐってドナーとレシピエントの利害の衝突が基本的に内包されており、それが救える命の方が価値が高いという政治的力学によって解決されるのでなく、両者の利害の対立が納得により昇華されるかどうかにこの医療の成否と倫理性がかかっているのだとも言えるでしょう。

 したがって、脳死移植にかかかる医療者には、当然ながら高い倫理性が求められ、ゆめゆめ脳死判定に疑問が出るようなことはあってはならないし、そうならないためのシステムと信頼を確立することをこの技術は前提として要求しているのです。

 もう一つの臓器移植の医療としての特殊性として、臓器移植はシステムとしてはじめて成立し得る医療だということがあります。この点にかんする認識は、わが国の臓器移植推進の立場に立つ議論の中でもまだまだ非常に低いのではないかと思います。

 瀬川至朗は、従来の外科医療を「手術室医療」と呼べば、心臓移植は社会に開かれた新しい「社会型医療」であり、密室を当然としてきたわが国の医療体制にはまったく向いていないと断じています

(瀬川至朗『心臓移植の現場』、新潮社、一九八八)。この瀬川の言う社会に開かれた医療のことをここではシステム的医療と言い換えることが出来るでしょう。

 どういう意味でシステム的かというと、それは従来のように一対一の閉鎖的な医師-患者関係の中で善意の医師が患者のことを思って何かをしてあげるというようなモデルではなく、社会に開かれた多くのスタッフが、それぞれの立場から移植医療にかかおる患者や家族に対して、制度とルールにもとづいた援助を組織的におこなっていくというところにあります。まさに個人の力量に頼るのではなく、組織としての総合力を重視するという意味で月ロケットを打ち上げた国に相応しいものであり、そういう点で移植医療は非常にアメリカ的な医療技術だと思われます。

 具体的に見てみましょう。アメリカの移植医療の現場には非常に多くのスタッフが存在しています。一般的な移植チームの構成は、移植外科医、看護婦、ICU(集中治療室)医、麻酔医、内科または小児科医、病理医、他の専門医、精神科医、医療ソーシャルワーカー、レシピエント・コーディネーター、ドナー・コーディネーターということになっています(神戸生命倫理研究会編『脳死と臓器移植を考える』、メディカ出版、一九八九)。

 実際にアリゾナ大学健康科学センターでは、外科医(心臓2腎臓古、内科医(心臓4腎臓2)、移植コーディネーター(心臓2腎臓士、麻酔科3、パーフュージオニスト(臓器搬送)2、神経科2、神経外科2、病理学7、臨床病理学2、免疫学2、感染症担当内科医2、小児科I、臨床心理3、ソーシャルワーカー2、栄養±2のスタッフがそろっているとのことです(柵島次郎・斎藤有紀子「移植医療の全体像」、生命倫理研究会編『一九八九年度臓器移植研究チーム研究報告書』第三章、一九八九)。とくに重要なのは、ソーシャルワーカー、移植コーディネーター、カウンセラーだと思います。

 移植にかかかるソーシャルワーカーは、移植適応患者の選別、移植のための経済的問題に対する支援、移植にかんする種々の情報提供、移植待機中の社会的・経済的・精神的ケア、移植後から退院に向けての体制作り、社会復帰や通院継続のための社会的・経済的・精神的支援などの移植医療の全ステージで非常に重要な役割を果たしています。

 移植にかかおるコーディネーターには、大きく分けるとドナー側で臓器調達にかかわるコーディネーターとレシピエント側で移植を受ける患者のために働くコーディネーターの二種類のコーディネーターがいます(大熊一夫「米国臓器調達ビジネス」、『AERA』、一九八九・四・一八、三二上二八頁)。

 ドナー側のコーディネーターは、ドナー候補の症例が出現するとそこに行き、家族に臓器の提供を申し入れます。提供が決まると、UNOS(全米臓器調達ネットワーク)のコンピューターで適切なレシピエントを選定し、そのレシピエントの病院に連絡を入れます。さらに臓器摘出に当たっては臓器の運搬にかかわったり、摘出後の提供者遺族のアフターケアなどをおこなっているのです。レシピエント側のコーディネーターは移植待機中および移植後のレシピエントの種々のお世話をしています(青木慎治『肝移植工私は生きている』、新潮社、一九九一)。全米では1000人以上の移植コーディネーターがおり、移植医療のソフトの部分をソーシャルワーカーとともに担う重要な役割となっています。

 カウンセラーは臨床心理の専門家が担当したり、精神科医がおこなったりしていますが、やはり重要な役目で、移植前後、あるいは臓器提供前後のさまざまな状況での、患者、家族、そしてスタッフの精神的援助を担当しています。

 さらには上記以外でも、牧師やチャプレン、移植患者の会、葬儀業者、警察・監察医など多くのスタッフが移植医療の現場に関与しています。そしてこれらのスタッフはたんに数が多いだけではなく、それらが有機的連係を保つながで移植患者も臓器提供者およびその家族も、ともにこの医療に満足し生と死の境において意味を見つけることが出来るよう、また移植患者が移植後の長期にわたる療養期間を有意義に過ごせるよう、そして公平かつ公正な移植医療が進むような構造になっているのです。

 移植医療というのは、生死の狭間にいる患者が死を迎える患者を待って、その協力のもとに自らの生死の危険を冒しても生の可能性を切り開こうというもので、生死の境界上の非常にクリティカルな場面において展開される医療にほかなりません。したがって、そこには公正さや公開性、倫理性、つまりは民主主義が必要であるわけですし、さまざまなストレスに対する援助も重要になってきます。だからこそシステムとして医療が成立することが重要になってくるわけで、従来の、手術をしたらそれでおしまいという医療とは根本的に違ってこざるを得ないのです。