A群レンサ球菌

 

 A群レンサ球菌は、化膿レンサ球菌ともいい、手に負えない壊死性筋膜炎をひき起こす病原菌でもあり、その菌株は八〇種にも及ぶ。最初、ヒトののどにはいりこんだときにはすべての菌株が生きており、咽喉炎、猩紅熱、腎疾患などをひき起こす。一部のレンサ球菌は、唾液やくしやみなどの飛沫にまじり、皮膚に脱出する。そこで、レンサ球菌は災いを招く。軽症のものから並べれば、苦痛、膿疱疹、丹毒、蜂窩織炎、そして最悪の場合、壊死性筋膜炎をひき起こす。壊死性筋膜炎には意味のうえでふたつの種類、レンサ球菌毒素性ショック症候群と壊死性筋肉炎がある。

 ときには、イヴァンジェリンーマーリの例のように、皮膚の切り傷から壊死性筋膜炎が生ずることもあった。また、医師さえ煙に巻かれるのだが、どうやらのどから体内にはいりこみ、身体のさまざまな部分に広がっていき、ただのこぶや挫傷によって感染症がひき起こされる場合もあった。ジョージーポストも、その例にあてはまるようだった。国際的な製薬会社スミスクラインービーチャム社の主任研究員であるポストは、一九九八年四月半ばのある日、健康そのもので出社し、重役会議に出席した。会議中、彼は会議テーブルにひじをぶつけてしまった。ぶつけたのはひじの先で、痛みはしたものの、たいしたことはなかった。だが時間がたつにつれ、ひじの痛みは軽くなるどころか、ひどくなる一方だった。急に熱が高くなったような気もしたが、ひじの痛みと熱とをむすびつけて考えることはしなかった。夜、自宅でそでをまくりあげ、腕を見たところ、放射線状に真っ赤な筋がでていた。「いますぐ、緊急救命室に行かないとだめよ」妻が断言した。幸い、ポスト夫妻はフィラデルフィア郊外に住んでおり、近くにはペンシルヴェニア大学付属ブリンマー病院という一流病院があった。ポストの腕に広がり つつある激しい炎症を見ると、プランマー病院の医師たちは抗生物質を静脈に投与し、彼を手術室に運び、壊死部分の除去をおこなった。そして、ポストは三十日間の抗生物質の連続投与を受けたが、ひじに小さな手術跡を残すだけですんだ。担当の外科医は「翌朝までご自宅で待っていたら、いま、こうして生きてはいないでしょう」と言った。

 切り傷にしろ、打ち身にしろ、壊死性筋膜炎は、最初は病原菌が手足に侵食してご馳走を食べ、それから周囲の筋膜層の細胞、つまり皮膚と筋肉の下の結合組織を破壊しはじめる。細菌(バクテリア)はここで栄養分を食べて育ち、筋膜層の上下の脂肪や筋肉もむさぼる。細菌にとって、筋膜はいわば安全な牧草地といえる。比較的、血管が少ないため、自然の免疫による防衛機能が、感染現場でほとんどはたらかないからだ。細菌が筋膜の面を破壊すると、血液循環を遮断するため、効果的に表皮を殺すことができる。すると皮膚が黒く変色しはじめ、風変わりなまだら模様が浮かびあがる。

 ひたすら食べつつ、細菌は時速約ニセンチで皮膚に広がり、外毒素をまき散らして周囲の組織を殺していく(この毒素は、殺害用に設計されてはいないだろうが、細菌が取り込みたい栄養素やアミノ酸を放出させるためにタンパク質を分解する)。この細菌が血流を通じて体内に広がると、毒素が臓器を攻撃し、免疫システムから激しい抵抗を受ける。免疫システムは、毒素を攻撃するように設計されており、場合によっては侵略者をわなにとじこめようと、毒素のまわりの毛細管に炎症を起こす。だが、四方八方の毒素と対決するようには設計されていない。五ヵ所の消防署からの出動が必要な規模の火事と等しいものに直面すると、免疫システムはこうしたスーパー抗原に対する破壊的な炎症性「カスケード」、すなわち連続的相互作用をひき起こす。とくに、そのサイトカインーどんな感染に対しても典型的な炎症性反応を起こす役割をもった化学ホルモンーが過剰反応で体内にあふれると、これは「サイトカインーストーム」とも呼ばれ、広範な組織の損傷をもたらす。この時点で、たとえ患者が入院していようとも、強力な抗生物質の投与を受けていようとも、この感染症にもちこたえ、生きびる確率はほとんどない。抗生物質は細菌を殺すが、外毒素はまだ血流を循環しており、免疫システムのカスケード反応は激しくなり、血圧を急激に下げ、生命維持に必要な臓器、腎臓、肝臓の機能を停止させ、そして毒素性ショック症候群の最後には、心臓さえ機能しなくなる。

 ところが壊死性筋膜炎は、取り返しのつかない状態になるまで気づかれない場合が多い。非常にまれな感染症であるため、緊急救命室の医師でさえ、ほとんど目にすることがないからだ。なお悪いことに、発症した当初は、はっきりした徴候があらわれない。マーリやポストのように、患者はめまいや発熱、腹痛があると不平をこぼすが、どの症状もインフルエンザの症状とよく似ている。最大のヒントは、感染箇所の尋常でない痛みだが、痛みを測定するのは医師にはむずかしい。もしかすると、患者は健康をくよくよと気にする心気症かもしれないし、二日もあれば治る打ち身に愚痴をこぼしているだけなのかもしれない。だが残念ながら、二日後には、患者は死んでいるかもしれない。